自分の体で感じ、自分の頭で考える

コロナのワクチン接種に人々が行列をなしていると言う報道がされています。僕の身の回りの人に聞いても、ワクチン接種券が来た急いで接種したいと言う人が多いです。感染したら急変して死に至った人と言う報道が、人々の恐怖心を煽っているものです。とにかく早くワクチンを打ちたい、と言うのがその心なのです。自分で考えるゆとりもない、ただただ煽られるまま行動している、と言うふうに僕は感じてしまうのです。

 

僕はしばらく様子を見ます。本当にワクチンが効くのか、変異するコロナに対応できるのか、そもそもワクチンの副作用はないのかなどなど。いろいろな情報に惑わされてると言う人もいるかもしれません。しかし僕は、一方的な報道や指示だけで、それに従うことはできないのです。そしてワクチンを打たないことによる損失は自分自身が負います。

 

さて、僕は卒業前に、ネフローゼと言う腎臓病患い、長いこと闘病生活をしたのです。今にして思えば、その原因は、心の奥底の思いを貫くことができず、周りと同調して生きなければいけないというレールの上に、自分が載っていることに気づいたストレスだったようです。残念ながら、その時の自分には、確固たる信念も方針もなく、ただ自分を押さえつけるしかなかったのです。

 

さらに、闘病生活の中で、医者といえども、病気に対して確固たる方針を持っていない、と言うことも知ってしまったのです。検査の結果で、薬を増やしたり減らしたりの連続でした。このままでは自分がダメになる、と気づいたのはその時でした。

 

僕は、体の微妙な変化を観察する習慣を身に付けました。僕は今こう考えます。健康と言うのは、澱むことなく流れがあることである。血液はもちろん、体液や食物やそして気持ちも、ちゃんと流れていなければいけません。それを阻止するものがあったら、手と足と心を使って流してやるのです。これが僕の健康法です。

 

人の言葉やコマーシャルや、そして専門家の意見でさえ、僕は鵜呑みにしません。自分の体で確かめて、自分の体にきいて、よければ実行します。先生は、僕自身の体です。自分の体で感じ、自分の頭で考え判断するのです。

 

あの時医者の意見にずっと従っていたら、今の自分はなかったと思います。何も考えずただ流されるままに生きる事は、自分自身にとっても、そして社会全体にとっても害悪です。そのことは、全体主義共産主義国家の実像を見れば明白です。

 

しかし実は、民主主義国家と言われる国でも、その全体主義的な悪弊がはびこりつつあります。国民が、強制であれ、鵜呑みであれ、思考停止状態で従うようになって来ています。ワクチン騒動もその1つの現象と僕は思います。そしてこの思考停止状態こそ、ディープステートと言われる一部の支配層の思う壺です。さらに、この思考停止、つまり人としての正義の感覚を失った状態こそ、金やハニートラップなどの罠に囚われる、本当の理由なのです。

 

自分の体で感じ、自分の頭で考える。

 

これこそ、共産主義やディープステートやパンデミックを含めた、世界の危機を脱するための処方であると思います。