損得の時代から、魂の時代へ

僕は、深い信仰があったり、霊感があったりする訳では無いけど、自分自身の中に、自分とは違う、生まれていた時に既に自分の中にあった存在を感じています。努力したり、追い求めなくても、既にそこにある存在。

 

そういう存在があるということを感じるようになったのは、この2、3年のことです。その存在は、僕の後ろで僕を支配しているようです。自分の意志ではなく、その存在の意図が、僕の行動を決めているような感じなのです。ですから、その存在が望むことは、努力したり律することなく、自然に持続して実行できるのです。

 

この自分の後ろにいる存在を、古来日本人は、魂あるいは天意として感じ取っていたものかもしれません。戦後、その存在は大和魂とレッテルを張られ、戦争を起こした悪玉として否定し排除しようとする占領・支配層の意図で忘れ去られらのではないでしょうか。

 

しかし、より俯瞰してみれば、この存在は、日本人に限らず、すべての人間が持っているものであるとも思うのです。その存在は、人間に力をあたえ、人間を突き動かし、どこかに導こうとしている、そんな感じがするのです。そして、日本人とは、その存在をより深く関知していた集団の一つではなかったのではないでしょうか。

 

それは、損得を超えた、なにかもっと別の基準を持った、何かの意志を内在した、存在なのです。現在の世界の激変は、その存在を気づかさせるための、意思の表れとも思います。浅はかな人間の思い上がりが築いた、行き詰まった「損得の時代」はもう終焉せざるを得ません。次は、その魂の存在に気付いた人がリードする「魂の時代」になると、僕は感じるのです。