後始末

僕は今、静岡県河津にいます。僕の母親がかつて、とは言っても約10年前まで、この地で修業寺の住職をしていました。その母親も今は認知となり老人ホーム生活をしています。実はその寺が今もあり、無人であれたままとなっており、それを片付けに来ているのです。

 

母は、60歳で出家し、自分の財産をすべて使って、この地に修業寺を建てました。人々を幸せにしたい、という高い理想をもって、一時は数十名ほどの「信者」がいたと思われます。事業家タイプであった母の情熱にまかせて、僕はそれを傍観していたと言えます。しかし、75歳ぐらいからでしょうか、それがおかしくなってきました。信者と言われる人に自ら縁を切り、孤立化していきました。

 

おそらくその原因は、お寺関係の嫌悪感と絶望感、それに付け込まれた海外からの妄信に取りつかれたしまった事でしょう。僕がこの事態を見誤ったのは、この妄信に取りつかれる直前に、彼女はある哲学思想に興味を持っていたからです。それは、ジュリアン・ジェーンズ、アイン・ランド、フランク・ワレスなどの、意識の発生と認識に関することであります。それは確かに有効なものであり、僕はそのようなアンテナを持つ母親に何か特別なものを感じてしまったのです。実は今でもこれは、僕の考え方の基本をなしています。

 

しかし、今の寺の実態は、僕の未熟さと余裕のなさによる失態でもあります。正直言うと、僕は、その土地も建物も手放すつもりでいましたから、ほっておいたのです。しかし。。それではいけない、たとえ手放すにしても、片づけをしなくてはいけない。2020年のこの世界の変化を感じる中で、僕は思うようになりました。

 

今僕は、荒れ果てた寺を月一度ですが訪ねて、ほぼお化け屋敷の部屋を、片付けています。そうしている中で、母の悔やみと焦りとを感じています。その念は、僕が、ちゃんと後始末をしなくてはならないのです。母を安堵させるためにも、僕の根拠をしっかりさせるためにも、今やっていることには、意味があると確信しています。

 

人は誰でも、この世ですべきことは、魂の中の次の自分にすべきことをしっかりと伝えていくことだと思っています。いい加減にしてしまったら、糸の切れた風船のようになってしまうと感じています。この世ですべきことは、少しでも光に向かって、魂を進めていくことです。前を向いていることです。逃げてはいけないのです。母の思いと悔やみとを直視し解いて、それを母の魂に伝えると同時に、僕自身のこの世ですべきことをする。このことを僕はトランプ大統領から教わりました。