十年一昔と言うけれど

母が、10年位前まで尼僧として暮らしていた寺の片付けをしに行きました。そこは無人です。よくもこんなところで暮らしていたと思うほど荒れて、物が散乱しています。

 

10年前とは、2011年、平成23年です。あの東日本大震災があった年です。母の異常に気がついた僕は、母が建てた修行寺の状況を、法律事務所を通して確認したのです。資産価値はなく、売却することもできない状態でした。その後、母は、急激に認知症となり、現在は特養に入所しています。

 

母は、高貴な理想と志を持って還暦の年に出家し、世の中を治したいと独自の方針で修行寺を建てたのです。一時は数十名の信者を持ち、勢いを感じていたものです。それに安心し切っていた僕がいけなかったのです。

 

いくら強い気持ちを持っていたとしても、一人で、新しい修行寺を運営していくのは、並大抵では無いです。色々なことがあったのでしょう。宗教ではダメだ、哲学を学びそこから変えていかなくてはならないと、最後の頃は言っていました。そして、信者さんにその考えを伝えて縁を切り、哲学の勉強を始めていました。80歳を超え、それは困難であることを、僕が気がつくべきでした。

 

十年の年月が、こんなにも遥か遠くに感じるとは驚きです。どの様にしたら良いのか、方針が定まらないまま、年月のみが経ってしまいました。寺のことは、忘れ去ることにしようとしていました。相続を放棄してしまえばいいのですから。

 

でも、その様に投げやってはいけないと思い、去年から、寺の片付けを始めたのです。少なくとも、次をどうするのか、僕自身の心が定まるまで、片付けをします。片脚を失いながらも、生き続ける母も、それを待っているのかも知れません。