日本語

コロナの感染拡大で、外来言葉がたくさん増えた。パンデミック、ロックダウン、パーティション、フェイスシールド、ソーシャルディスタンスなどなど。急激な社会現象のために、外来語をそのままカタカナで表記するのも仕方ない。

 

でも、いかがなものであろうか、どうも最近カタカナが多すぎるように思う。なんのことかわからないのだ。パラダイムとかリソースとかコンテンツとかシフトとか、なんとなくわかっているようで、その真の意味を実感できないで使っていることも多いような気がする。 

 

言葉は、心の奥底で実感してこそ力を持つものである。いずれ時間が経てば、これらの言葉も日本語の中に、何らかの形で取り入れられていくと思っている。なぜなら、日本人は、外国文化を模倣するのではなく、消化してきた民族だからである。西洋文化をかっこいいと思う風潮は、戦後わずか数十年の出来事である。その真の意味を理解した時、それを消化し、自分の中に取り込んでいく。その時日本語はどういうなっているか、楽しみでもある。