宦官がなぜ日本にできなかったか

日本人は中国から多くの文化を取り込んできました。漢字、仏教、儒教、寺院建築、平安京などの都市計画、箸、屏風などあらゆる場面にそれはあります。

 

そしてそれらは、日本の風土に合わせて、消化吸収されてきました。(これについては前のブログでも書きました。2019/12/17「人のまねをする国」)古来の大和言葉と合体させ、ひらがなカタカナを創り、独自の言語文化を作りました。仏教建築は金閣寺銀閣寺のように日本の美になりました。お茶は茶道と言う道を極めていきました。

 

僕達の先達は、このように中国文化の良いところを自分達の生活に合わせ変化させ、文化を構築していきました。

 

しかし、この様に中国のあらゆるものを取り込み作り変えてきた先達ですが、「宦官」は採り入れなかった。あれほどまでに中国で定着した制度を、日本風に変形させることもしなかった。

 

僕はこの理由は、日本人の優しさだと思っていた。男子の性器を切り落とす!なんと惨いことか。しかし、調べてみると、それは男女の関係に起因すると考えられるようです。

 

宦官の登場の原因としては3つの理由があると思われます。①捕虜の男子を労役に使うため、②刑罰のため、③宮廷の女性を管理するためとなります。ただ、結果として皇帝の側近として仕えるようになり、権力を持つようになり、積極的に宦官になろうとするようになったようです。そしてこのことにより、特に中国では、政治の闇を作ってきたようです。

 

そして、日本では、上記の理由の①②③いずれも行われなかったという事です。

 

男性の性器を切り落とすという行為は、人間としての尊厳を失わせるものであり、日本には合わなかったのでしょう。ただ、僕が注目したいのは③の理由です。

 

中国をはじめ、世界の国々では、皇帝が女性を独り占めするため、その管理のために宦官を利用したのです。皇帝一人が何百、何千という女性を囲ったという事には驚きです。つまり、女性は皇帝の所有物である、支配するものであるという感覚でしょう。しかし、日本では、男は女のところに「通って」いたのです。支配するものではなかったのです。

 

万葉集などを見ても、男と女は対等であり、奔放な恋愛が描かれています。女は独立した存在であった。ましてや、中国の「纏足」などと言う手法で女を縛ることもなかった。古事記に登場する天皇は、女性を「もの」としては見ていません。この点が日本の大きな特徴と思います。

 

中国や西欧のような、女を支配する思想がなかったので、その管理をする宦官も必要なかったのでしょう。ちなみに、江戸幕府の大奥は、女が女を管理するためのもので、皇帝が女を管理するものとは違うのです。

 

ともあれ、日本に宦官が登場しなかったことは、喜ばしいことであり、誇るべきと思います。男も女も、人間として尊厳を守っていくことに気が付いた人類が、これから先の世界秩序を作っていく過程でも、この古来日本人の女に対する文化は見直されてもいいと思います。