心を込める

僕は10代の時マリンバを習っていました。先生から、ここは強い音で弾きなさいとか、もっと優しく弾きなさいとか言われたものです。強い音とか小さな音とかは分かるし、優しい音というのも、乱暴な音でないという意味で分かります。しかし、ちょっと困るのは、心を込めてとか、魂を捧げて弾きなさいとか言う時です。当時僕は、こういう場合は、一所懸命に弾く、という意味に捉えていたと思います。

 

でも、よく良く考えると、難しい。その意味するところは、相手を感動させる様に弾く、という事なのでしょう。だとしたら、どういう風な気持ちであればいいのでしょうか。心を込めて、その心を相手が感じて、感動するのだとしたら、それは一体どの様な心なのでしょうか。長い間その疑問は忘れ去られていました。

 

実は、何十年ぶりに、マリンバを練習し始めて、それがわかったのです。

 

マリンバの練習を再開したのは、ホームで療養する母に聴かせられたらいいなと思ったからです。マリンバは、両手に2本ずつバチを持ち、合計4本のバチで演奏すると、素朴で心安まる和音演奏ができるのです。例えば、ホワイトクリスマスなどを演奏すると、しっとりとした安らかな情感が得らます。今回、パッフェルベルのカノンを母に聴かせてあげたいと思ったのが、マリンバ再開の動機だったのです。

 

とは言っても、マリンバをホームへ持って行くのは難しい事です。今僕は、マリンバ演奏用に編曲したパッフェルベルのカノンを、キーボードで弾いて聴かせています。

 

母は、すでに認知で、時々、僕のことをお父さんと思っているような状態です。でも、このキーボード演奏を聴いている時は、いつもじっと目を閉じて聴き入っているのです。一曲演奏が終わって、音が止むと、ややあって目を開け、「聴いてたよ」と言います。そしてもっと聴かせてくれと言うのです。何か、安らかな気持ちになる様なのです。「聴きながら眠っていいかい」と言って、また目を閉じます。

 

認知でなにも考えていない風ですが、今までの人生を思い出したり、ホームでの生活の不自由さを忘れようとしたりしている様に見えます。その中で、このパッフェルベルのカノンは安らかな気持ちにしてくれる様なのです。

 

僕は、自宅でマリンバを引く時、この母の目を閉じた横顔を想うのです。安らかにゆっくり休んでください、そんな気持ちになります。そして気付きました、これが「心を込める」ということなのだと。