個人の覚醒とは

数日前、僕は、個人の覚醒とは、自分自身を知ることであると書きました。そしてその時点で、僕は、僕とは何かものを作る魂であると認識していました。そしてそれに喜びを感じ、価値も見出していました。

 

と同時に、そのような気持ちでいる僕は、経済的にも家庭的にも問題を抱えているわけではなく、安定した状況にあることが、その前提となっていると思ったのです。もしかして僕は、その前提を失った時にも、自己の覚醒を覚えていられるのでしょうか。それどころではないといった心境になってしまうと想像できます。

 

あるいはまた、自分には何も取り柄がない、何の価値もない魂なんだと思ってしまうこともありえるでしょう。事実、僕だって、長い間そのことで頭がとらわれていたのですから。

 

このようないろいろな状況を考えるときに、個人の覚醒とはなんだと問われたら、何と答えるでしょう。そう考えると、自分を知るとか真実を知るとか、それらの事は最終段階であって、それを目指す途上でどのような状態でいることが個人の覚醒と言えるのでしょうか。自分自身を知ったり、真実をしたり、そういう状況でなければ、個人の覚醒は無いのでしょうか。

 

このように考えると、個人の覚醒とは、どのような状況であっても「覚醒」していなければいけないのです。それは、どのような状況であっても、前向きで積極的で明るい気持ちを持てる、と言うことではないでしょうか。このような気持ちになれる自分になること、それこそが個人の覚醒の真の意味かもしれません。

 

ですから、常にそのような自分であるように切磋琢磨する事こそ、個人の覚醒ではないかと思ったのです。