気の仮説

僕は、理科とか算数が好きな少年でした。あいまいでなく理屈でちゃんと説明できる事の方が、性に合っていたのです。僕が学生時代、ソ連とかアメリカで、テレパシーとか未来予知などの研究をしていると、耳に挟んだことがありました。当時そんなことを科学的な研究ができるのだろうかと、聞き流していたように思います。

 

しかし、最近「気」と言う存在に気づいて、科学的なことに固執していてはいけないと思うようになったのです。元気とか、気合とか、気が進まないとか、なにげに日常生活で使っている「気」は、本当に存在するんだと思う様になったのです。

 

決して科学的な説明ではありませんが、僕の考える「気の仮説」を述べて見ます。

 

電気とか引力のように科学的に証明されているわけではありませんが「気」は、存在します。それは宇宙の根源に関わるものです。僕たち生命は、この気をもらって、この世に生まれてきます。気は、全ての根本です。力の元です。その証拠に、僕たちは、新鮮な気があふれるところに惹きつけられるのです。

 

生まれたての赤ちゃんは、この気をいっぱい持っています。ですから僕たちは、赤ちゃんをかわいいと思い、飽きないのです。赤ちゃんや幼児は、気をいっぱい溢れ出させながら動きまわるので、大人たちは、その気をもらい、元気になるのです。

 

一方で、生まれ持った気は、補充していかなければ次第になくなっていきます。その補充は、楽しかったり、新しいものを発見したり、遊びを工夫したりすることによってできるのです。子供たちの遊びは、きりがなく疲れを知りません。それは後から後から、気が補充されているからです。

 

しかし成長し、遊んでいるだけではなくなった時、さらには生活のために仕事をしなければならなくなった時、そのままでは気の補充がなされなくなります。そして元気がなくなり気が落ち込んできます。

 

ですから僕たちは、お互いに励ましあったり、言葉をかけたり、ものを作ったり与えたりしながら、気を失わないようにしているのです。実は、気を生み出す根本の仕組みは、僕たちの意識とか心です。自分を大切に思い、人を大事に思い、感謝の気持ちを持つならば、気は呼応し増幅します。

 

ここで僕たちが考えるべきは、気を養い続ける究極の方法は何かと言うことです。それは、積極的な思考です。どんなときにも、どんなことでも、前向きに考える思考、これが気を絶やさず増やし続ける手段なのです。言うは易しですね。でもこういう努力が僕たちには必要なのです。

 

しかし、そうありたいと願っても、運命や環境によって必ずしもそれはうまく実行できることでもありません。つい、運命や環境に負けて、暗く考えたり、憤ったり、恨んだりしてしまいます。そうすると、気はどんどん減ってしまうのです。そして気がなくなったとき、人間は死を迎えるのです。

 

僕が考える気は、こんなものです。

 

ですから、気はとても大事なものだと思っています。もしかすると、僕達は「気」をそんなに気に留めていないかもしれません。気づいてもいないかもしれません。でも、気を感じ取ることこそ、現代の人間に必要なことなのではないでしょうか。僕は、耳をすまして、心の声を聞き、気を感じ取っていきたいと思っています。