思考の停止が老いの始まり

考えると言う事は、地球上の生命で人類のみが天から与えられた仕組みである。手足とか胃腸とかそういう生命の仕組みは、物の移動のためのものである。しかし、考えると言う事は、気の移動であると思う。

 

例えば、日本人が感じ取っていた、言霊と言う言葉は、言葉に乗った気の移動である。気は、物体のように目に見えるものでは無いから、感じ取ることでしか認識できない。つまり科学的方法ではつかみどころがないのだ。

 

気力を失うとか、気力が充実しているとか言う言葉がある。気と言うのは何か生きるエネルギーの元のようなものとも言える。という事は、人類は生きるエネルギーを、考えると言うことでコントロールできる生命かもしれない。

 

事実、何かクリエイティブな仕事をしている人、いろいろなアイデアを出せる人、生活の中でいつも工夫をしている人、こういう人達は、元気である。肉体と違って、考えると言うことに老いは無いと思う。きっと、考えると言うことによって、気と言うエネルギーが天からその肉体に降りてくるのだ。

 

逆に言うと、他の人の言うことをそのまま無条件に受け入れるようになった時、ただテレビを見ているだけになってしまった時、さらに、人生において戦うことをやめた時、諦めたとき、人は思考を停止するのである。そして無気力となり、天からの気の流れは停止されるのである。

 

僕は、考える事を止めない限り老いは始まらす、考える事をやめ始めた時、老いが始まると感じている。