個人の覚醒は、自らの因と目の前の縁から

因縁という言葉は、例えば「因縁の仲」などのように悪い印象で使われることが多いと感じる。しかし、元々の意味は、この世での結果の要因として示された言葉であると理解している。即ち、原因となる因と、与えられた環境となる縁のことである。

 

そして、僕は、この因縁という言葉を、前向きな言葉として捉えたいと思っている。人生を考えるなら、因とはその人の魂の傾向であり、縁とは身の回りの環境である。この因を知り、縁を大切にするなら、この世に生まれた価値が生じ、意義ある人生を送れると思う。シンプルなことであるが、なかなか難しいことでもある。

 

まず、いろいろ人生の経験を積み、自らの魂の傾向を知る事はそれほど簡単ではない。天性の能力と恵まれた環境をあわせ持つ事は、稀である。若くして自らの天の道に導かれる人は幸せである。一般には、いろいろな失敗と挫折と苦しみを越えることで、それを感じ取れるようになると思う。僕も長い間若い頃から、この点については苦しんで悩んできた。70近くになって、やっとその方向が見えてきた感じなのである。いずれにしても、諦めずに焦らずに切磋琢磨することが必要なのかもしれない。

 

次に、縁であるが、与えられた縁に感謝し大切にすると言うことも、紆余曲折の後にやってくるものなのかもしれない。

 

人生はこうやって、自らを知り、目の前の変化を大切に、そこから始めることなのかもしれない。高望みも羨望も不要だ。地道に足元からまず始めよと言うのが、この因縁の意味と思う。