決心

そろそろこのブログも1年たつことになります。このブログは自分自身を整理し、何を考え何をしたいのかを考えることが目的でありました。僕がこの世に生まれてきた意味が分かればいいと思っていました。ブログを書き続けることで、色々な知識を得て、僕自身がどういう傾向の人間かがだいぶわかってきました。しかし、この世に何をしに来たのかと問われれば、まだはっきりとした回答がありません。しかし、そのおよその方向がわかってきました。僕は何かを作りたいのです。その時の「何」が定まっていないのです。まだ模索をしているのです。

 

振り返ってみれば、僕自身の人生もそうです。ずっと模索をしているのです。しかし、このやり方では、限りなく目的に近づいていくかもしれませんが、目的は達成されないと言う事も分かりました。

 

この世とは、僕自身ではありません。僕はたまたま、この世に生まれてきたのです。そんな僕自身を突き詰めても、この世と僕を断絶させた中では、僕がこの世に何をしに来たのかはわからないのです。つまり僕はこの世との関係を断絶し、この世を考えてきたのです。

 

この世に生まれてきたからには、その意味がある。僕はそう考え続けてきました。でも、僕は、この世が嫌いで、この世から遠ざかってきたとも言えます。それでは、この世に生まれてきた意味を問うこと自体、おかしなことですよね。この世に何をしに来たのか、それは、僕自身に聞くことではなく、この世に聞くことなのですよね。

 

人は、それぞれの魂は、何らかをするためにこの世に来たのです。その魂は、それぞれに傾向を持っていて、世の中に対峙する方法手段が違う。しかし、その方法手段は、魂が喜ぶことであれば、それでいいのです。それ以上追求することもないのです。やるべきことは、その魂をもって、世に問う事なのです。

 

問いかけたことが、世の中に合致すれば”はやる”し、そうでなければ何も反応がない。ただそれだけなのです。そして僕が、自分の魂を深く見つめたその度合いだけ、この世の中にそれは伝わるのです。もし伝わらないとしたら、それは、僕自身の魂の見つめ方が足らなかっただけなのです。その、思いがこの世に伝わらないと言う事を恐れて、僕がこの世に問いかけをしなかったら、僕の魂にとって何もしなかったことになります。

 

だいぶ歳を重ねてしまいました。でもそれは魂にとって問題ではありません。「僕自身に問う」と言う事から、その「問うてきた僕自身を世の中に問う」、その方向に気持ちのレールを切り替えることを決心しました。