人と動物の違い:尊厳

2015年のミスワールドのカナダ代表、アナスタシア・リンは、中国の裏を暴き人権擁護を訴える女優となっています。そのため、中国に住む父親と祖父母は中国政府の監視下におかれ、海外に出ることができないのです。

 

13歳の頃カナダに移住し、中国政府のプロパガンダ教育の嘘とそれから解放された自由を見つけるのです。押さえつけられていた自分を自由にすると言う事は、自分とは何だという問いにもなります。おそらくその過程で、今までコントロールから脱却し、心の独立を獲得したのでしょう。彼女は、ミスワールドに出場することで、自分の思いを世界に発信できると分かったのです。そしてそれを果たすと同時に、なんと、水着コンテストを拒否するのです。

 

2013年、彼女はミスワールドの水着コンテストに対する疑問を発します。肌をさらすことを拒否するのです。確かに、水着コンテストは、女性を、性の対象見る側面の現れです。女性の価値とは性対象の魅力ではなく、人としての美の魅力でしょう。水着姿を競わせると言う事は、女性を性の対象として評価し、所有する価値観がそこにあると思われます。僕も、男としては魅かれるものもありますが、独立した女性の立場からすれば、自分を卑しめる感覚を持つものと感じていました。

 

女性が、水着コンテストをよしとするなら、それは「私の肉体を見て」というメッセージであり、男性に対する媚ではないかと思います。楽しみとしてそれがあってもいいかも知れません。しかし、美を競うコンテストでは、そのコンテストの価値を下げるものなのです。今は僕もそう思っています。

 

そして、水着コンテストは廃止されました。彼女はミスワールドコンテストで、2つの勝利を得たのです。中国に対する独立と男性の価値観に対する独立とをです。

 

人間と動物との最大の違いは、最終決着は「力」なのか「価値」なのかという判断が、できるか否かです。女性が性の媚を売ると言う事は、男性が支配する社会に食い込む武器でもあります。しかしそれは、男性の力の支配に対して屈服している姿でもあります。例えば政界や経済界であっても、媚を売る女性ではなく、正しさや価値で男性と勝負できる女性が進出することが世の中を良くしていくと思います。

 

媚を売るのがすべて悪い不必要なものとは言えません。しかし、世の中をリードする人たちが、媚を売っていたらその世界は悪くなってしまうでしょう。人ではなく、動物になってしまうのです。いまこそ、人と動物との違いを正しく見るべき時であると思いました。