個人の覚醒の時

2019山本太郎のれいわ新撰組、2020アメリカ大統領選挙の流れで、日本でも目覚めた人たちが増えてきている感じを覚える。人の言う事(メディアや政治の動き)に盲目的になるのではなく、自分の頭で考え始めた人が多くなってきたと言う事である。また、真実を発信しようとする人が多くなってきたとも思う。さらに、今まで地道に真実を伝えようとしてきた人たちが、ようやく日の目を見始めているともいえる。かくいう僕自身も、この流れで、やっと世の中を自分の目で見ようとしたところである。

 

そして、この流れは政治的な観点だけではなく、個人としての人生としてのものでもある気がする。永年心に抱いてきたこと、明確に意識していたことでなくても、定年後ふと自分の生き方に目覚めると言う事もあると思う。ある人は料理に、ある人は工芸に、それも単に趣味という領域ではなく、プロとしてもうなずけるようなものである。単に思い付きではない、打算的ではない、魂としての追求というものがある。それは、社会人としての表の顔ではなく、その裏で長い間熟成されてきた精神の顔である。こういう人が確実に増えている。政治的な覚醒も、単にその一つの表れであるのかもしれない。

 

人の目を気にして、利益のみに目が向いた時代が去り、魂の目覚めに向かうのではないか。誰かがあるいは組織があるいは先祖が提供したレールを、単にそのまま受け入れ調子よくうまく生きていく、と言う事が評価されず生き辛くなってくる時代になる。つまり、個人として覚醒がないと、不安と焦りを感じる時代に変わりつつあるのだ。でもそれは、誠実に真剣に生きようとする人にとっては、厳しくも晴れ晴れとした時代であると思う。