山本太郎、力及ばず

京都市長選挙の結果が出た。現職の門川氏が当選、山本太郎の推す福山氏は落選した。僕は、今回の市長選挙により、新しい流れが引き起こされる事を期待していたが、またもそれはお預けとなった。

 

福山氏は共産党とれいわ新撰組が推すのに対し、門川氏は、自民党立憲民主党、国民民主党社民党が推薦している。この構図は、まさに新勢力対旧勢力だ。そしてまたもや、日本国民は旧勢力を選んでしまったことになる。政治の茶番に嫌気がさして、与党も野党も選択に足らないと言いながら、またもや、その旧勢力の茶番をを選択してしまう日本の政治的貧困に、脱力感さえ覚える。

 

山本太郎の街頭会見には、あれだけ多くの人が集まり、熱狂的な感があるのにもかかわらず、山本太郎に共感するのは、社会的には未だ一部の人達なのだ。僕は、日本人がこれほどまでに、去勢され、無知化されている事に愕然としてしまう。山本太郎の悔しさは如何程であろうか。

 

しかし、山本太郎は、これが現実と言って、更に心を熱く燃やす事を知っている。そろそろ僕も何か行動を起こさなければならないと感じる。

 

力と勇気と信念を持って蘇り、新しい元気を持って、正しい人間としての本領の発揮と本分の実践に向かう。これは、毎朝、僕自身に言い聞かせている、中村天風の言葉だ。力と勇気と信念により元気が満ちてくる事を念じている。無理やりのカラ元気ではなく、心の奥底から溢れ出る元気を待ち構えている。そこに心を向けている事が大切なのだ。きっと、山本太郎も、日本人の心に力が満ちてくる事をじっと待っているに違いない。