17歳の君へ2回目

君にメッセージを書いてから、2日経ちました。その後、特に質問とか感想はなかったので、続きを書きましょう。

 

僕は、体が自分ではないという事と同じように、心も自分ではないと考えるのです。つまり、僕が、体を自分の意思で動かしていると同じ様に、「心」も自分の意思で動かしているのではないかと思ったのです。悲しんだり、喜んだりする心など、自分の意思ではなく自然に生じる心もあります。でも、それだけではなく、自分の意思で動かす心もあるのです。僕がよく使う例ですが、コップ半分の水を見て、半分「も」あると思うか、半分「しか」ないと思うかは、自分の意思です。ということは、自分という何かがいて、それが「心」を使っているとういうことになります。

 

では、まず、その「僕が使っている心」とは何でしょか。体が、空間を移動できると同じ様に、それは思いの世界を動くことができるものです。僕達は、それを動かして、積極的にも悲観的にも、明るくも暗くもできるのです。というふうに考えると「僕」とは、体と心を使っている存在なのです。体と心は、この世で生きるために、僕が宇宙から借りたものなのです。

 

僕は、僕とは、この世で体と心を借りて、思いと創造をしている存在だと思います。そして先人達は、それを「魂」と呼んだのです。だから、体と心を失った魂は、何かを思うことも、何かを作り出すこともできない、無の存在になるのです。そして、この世に生まれでた時、体と心を借りて、この世に思いと物を残して、また無にかえっていくのです。

 

50年経った君の、僕は、こういう風に考えています。