17歳の君へ4回目

3回目を書いてから半月以上経ちました。その間世界は大きく動いています。トランプ大統領が、弾劾裁判で無罪となりました。民主党の悪あがきも、自分たちを守るでっち上げも、もうこれまでとなりました。誠意と正直さが、悪意と嘘つきに対して、力を挽回し優位に立ってきたのです。他人に対するおもねりはだんだん通用しなくなり、自らの頭で考えなくてはならない時代が見えてきました。

 

君は、自分とは誰かと言うことを考え続けていますね。自分を細かく見ると、そこには親があり友人があり世の中の人々の言葉があるのです。だから一体自分とは何なのか、と考えているのですよね。

 

僕はそれがよくわかります。でも僕は、前回、前々回で話したように、もうそこで迷う事はなくなりつつあります。だって、『自分を作っている一つ一つの考えや言葉は、自分以外から来たものだ』と考えている自分があるではないですか。それこそ自分です。もちろんこれは、デカルトの言う、われ思うゆえにわれあり、の我とは違いますよね。このわれは、思うから出てきた我です。でもここで僕が言う自分とは、思ったから出てきたものではなく、もともと存在していた自分なのです。

 

僕は前に、自分の体を細かく見極めても、そこには自分がいないと言うことを話しましたね。つまりこの体は自分では無いのです。この体は自分が借りたものなのです。同じように心も自分ではありません。心と言う仕組みを僕は借りているのです。その借りている僕こそ、自分です。

 

深く深く自分を見つめてもそこには自分はいない。でも自分はここにいる。これこそ、色即是空 空即是色ではないかと、勝手に想像しています。

 

実はこの考え方こそ、今世界で再確認されてきたことではないでしょうか。今起きている流れは、自分と言うものを、勝手に作ってはいけないと言うことなのです。自分と言うものは、もともとあった。神の下にあった。と言う考え方です。人間の思い上がりに対する神の怒りが、今世の中を変えつつあります。

 

君は、自分と言うものを他の人の言葉によって置き換えようとはしなかった。それはすごく正しいと僕は思っています。その正直さを僕は誇りに思います。君の心の苦しさは、まだまだ続きます。でもそれは解決される時が来るよと、僕は君に言ってあげたい。なぜなら今、自分を騙す嘘がバレつつあるからです。