大局の見方

山を歩いていたら、虎に出会った。急いで近くの大木に登ったら、蛇がこっちを向いて舌を出している。それで、木に絡まる蔦にしがみつき、するすると下がった。しかし、その上の方で、リスがカリカリと蔦をかじっている。見ると下は谷底だ。さあどうする。中村天風の問いかけだ。

 

声を出したり、蔦を揺すったりして、リスが齧るのをやめさせるのか。しかし、そんなことしたら蔦が弱ってしまう。

 

中村天風の答えは、ただじっとしていろ、である。

 

僕は時々、この命題を考える。

天風は、どうしてそういうのだろうか。

 

僕にはその考え方の真意が何かはわからない。想像するに、それは「大局を見ろ」ではないか。細かい一つ一つではなく、もっと大きな観点で見なさいということではないか。

 

かんだだが、蜘蛛の糸を登っていて、下を見たら、大勢の人が後から登ってきた。それを見て、叫んだ途端に、糸は切れたのだ。全体を見れば、それは、お釈迦様の手の内であったのだ。

 

今、トランプの取り囲まれる状況は、ある観点からすると、どんどん追い込まれている。しかし、大局を見ると、確実に正しい方向に進んでいる。お釈迦様の手の内にある様に、その意に沿って進んでいる事を捉えれば、何ら恐れることはない。ひたすら糸を登っていけばいい。それは、お釈迦様が望まれている事なのだから。