正しいとは

僕は、正しさとは時代や社会の違いによって変わるものであると教わってきた。確かに、天動説の時代には、地球が世界の中心であることが正しかった。しかし、地動説の時代になると、地球は太陽の周りを回っている惑星に過ぎないことになる。王権神授が信じられた時代は、政治権力は王にあって当然であった。しかし、民主主義の時代になると、最高権力者は人民になる。

 

この様な観点では、確かに正しさは、時代や社会によって変わってきた。でも、僕は正しさとは、この様に変化していくものではないと思う。肉体的精神的な苦しみを排除し、明るく快活に生きていきたいと言う、生命の根源的な要求に叶うものこそ正しいのであって、それは時代や社会が変わっても変化することはないと思う。

 

ところで、僕は中村天風の信奉者であり、天風の説く「朝旦偈辞」を朝起きた時に唱えている。そのなかに、『一切の希望、一切の目的は、厳粛に正しいものをもって標準として定めよう』という節がある。ここで言う「正しい」とは、永久不変のものを指していると思う。

 

天風が言うところの正しいとは、論理的に合っているとか、倫理的に合っているとか言うのではなく、各自が自らの心に問うて、明るく積極的な気持ちになれること、そしてそのことによって宇宙のエネルギーを受け容れられる時の心の状態を言っていると僕は理解している。こう書いてしまうと曖昧な定義になってしまうが、つまり宇宙のエネルギーが向かう方向そのものが「正しい」と言っているのだと思っている。宇宙の真理と言っても良いものなのかも知れない。そして、宇宙の真理とは、生命が明るく快活に向かっている時の先にあるものと言っても良い。

 

世の中には、明るく不安を拭い去り元気にさせてくれる人がいる。多分、その人は、宇宙のエネルギーを取り入れて他の人に投げかけられる力を持っている人なのかと思う。宇宙のエネルギーが流れる向きこそ、真理であり、正しさである、僕は今この様に考えている。