自分の歴史としての手書き日記

 僕はこのプログ日記を昨年の9月から始めました。目的は、僕自身の考え方を今一度しっかりと確認することです。それは単に日記としてではなく、ブログとして公開することで、”言葉”として自分を伝える訓練も兼ねています。現時点としては、自分自身の考え方を確認するという目的としては、効果があったと思っています。このブログを始めなければ、自分の心が何に反応し、何を言わんとするかがわからないまま、あいまいなままであったと思います。このブログ日記により、自分の心の傾向がだいぶわかってきました。ただ、その心を”伝える”という意味では、まだまだ途上であると言わざるを得ません。人に話して、心に訴えると言う事は、また別の訓練が必要と感じています。ただ、しばらくは、心を伝えるより、内観することに重きを置いていこうと思っています。それが、伝えることにもつながっているものと信じていますから。

 

さて、この日記ブログのほかに、今年の5月から、ノートに手書き日記を始めました。これは、言葉の日記ではなく、ありのままの実態の日記です。僕自身の私的な空間の日記です。これも必要であると思ったのです。それは、言葉以前の自分の歴史を確認したかったからです。いろいろと思い浮かぶ僕の思考は、それぞれいつごろから始まったのか、それぞれの習慣は何がきっかけで始めたのか、なにをしたかったのか。これらは言葉に落とす前の、僕自身の心の動きだからです。そして、この手書きのなかにこそ、僕自身があると思うようになりました。でもそれは、公開するようなものではありません。その心の動きを言葉としブログ日記に記載したもののみが、公開されるのです。

 

この手書き日記には、写真や絵もあります。言葉以前の思いがそこにあります。しかしそれは、僕がこの世から去ったら意味が不明の雑書きでしかないものでしょう。その時残るのは、言葉として書いたブログ日記だけとなります。このような理解で、まだしばらく、手書き日記とブログ日記を続けていこうと考えています。