心と胆(はら)

言葉というものは、その言葉の意味すること以前に、その言葉が生まれた経緯を持っています。今回考えたいのは、心と胆です。心に決めるとはいいますが、胆に決めるとは言いません。逆に、胆を据えるとはいいますが、心を据えるとは言いません。このちがいこそ、言葉の定義以上の、その言葉に宿った言霊の違いなのです。

 

僕たちは日常の会話で、何も考えずに言葉を選んでいますが、その奥で、その言霊を感じているのかもしれません。その言霊の違いによって、無感覚でも、僕たちは言い方を変えているのです。

 

僕は、決心をしました。それは、心に決めたということなのです。その決心を、胆に銘じた時、胆に据えた時、それは本物になるのではないかと思います。

 

心と胆、この違いは、「氣」とのつながりの度合いではないかと思います。心とは、文字通り、ころころと変わるものなのです。心とは、氣をうかがって変化する、損得を計算する、迷える自分に近いものです。それに対し、胆とは、氣と通じるパイプを持っていて、簡単には変わらないものです。胆は損得では動きません、何というかもっと深いところで決められるものなのです。

 

日本語は深い意味を醸しています。そういう言葉を持つ日本人はとても幸せです。言葉が誕生する以前の「波動」を今もって伝えてくれる言語です。「心に決めたことを肝に銘ずる」、僕はそのことを今感じようとしています。