怠け心と努力

夏休みの宿題がなかなか手につかず、休みの最後になって仕方なしに何とか終わらせる、という経験は多くの人が持っていると思います。僕もそうでした。読書感想文、絵日記など、やるのが嫌なものはなかなか手につかないのです。それに反して、工作とか、僕が好きなことは結構はやく終わらせているのです。

 

宿題を目の前にして、それには手を付けず、漫画とかテレビを見て時間を無為に過ごしてしまう。この、どうしても手が付かない、やる気力がないというのはなぜなのでしょうか。つい最近も、これに似た状態がありました。やりたくない仕事をいつまでも手に付けずにいたのです。その時、昔の夏休みの宿題のことを思い出したのです。

 

このやりたくない事というのは、頭を使う事なのです。そこに意識を向かわせて、努力をしなくてはならないことなのです。それに反して、つい時間を過ごしてしまう事は、頭は使ったとしても、意識を忘れ去らせることなのです。明らかに脳の使い方が違っているのです。一言でいえば、脳を無理やり動かすことと、脳が自然に動いてくれることの違いです。別の言い方をすると、「努力」の有無ではないでしょうか。

 

努力とは、慣れない心身の使い方を無理やりやらせて、それが苦痛なく遂行できるように繰り返すこと、と言えます。そして、この、慣れない事、やりたくない事、自然にできない事をやらせることが、人間にとって大切なことなのです。努力とは、抵抗ある心身の使い方を、慣れさせて、ストレスなく実行できるように訓練することなのです。

 

人間は社会の中で、自分自身の中の不都合な行動を矯正し、より良い社会を作ってきました。怠け心の状態とは、その不都合な自分自身を見せつけさせられ抵抗している状態と言えます。もちろん、怠け心の対象が、必ずしも乗り越えるべきものではないかもしれません。しかし、自分の心が怠けていると感じた時、その心を客観的にみて、自分自身とその乗り越えるべき対象を観察する必要があります。それは、人生に欠かせないことでもあるのです。また、社会的な犯罪を再犯させないという観点からも、この「努力」は地道に続ける必要があります。