もはや内戦状態か

ジョージ・フロイドさんが警察官に首を押さえられて死亡した事件で、今や全世界で黒人に対する人種差別反対のデモが巻き起こっている。この事件は、どう見ても、警察官の対応が黒人に対する差別、更には懲らしめの感情があったと思わざるを得ない。

 

しかし、この種の事件はアメリカでは繰り返し発生し、そのたびにお詫びと反省をしてきたものではないか。もう、表面的な反省では足らない、もっと根深い問題を感じざるを得ないのである。アメリカ400年の歴史において、その凄まじい開発と発展の陰で、黒人の労働力は欠かせないものであり、またその奴隷売買でお金を儲けた歴史もあったのである。白人アメリカ人の中には、消え去らない、黒人に対する蔑みと排他感情があっても不思議ではない。それを消し去るには、自分自身も同じ様な目に遭わないと解消しない様にも思ってしまう。

 

でも、このアメリカの黒人奴隷は、近代西欧のアフリカ植民地支配に端をなし、更には、西欧社会に出発点とも言える古代ギリシャは奴隷と共存していた社会だったのだ。こうなると、単なる理性での反省では足らないのである。

 

また、この問題の背景に、アメリカが銃の社会であることも影を落とす。最後は有無を言わせぬ「力」が問題を解決するという社会意識である。銃を持つ強者の圧倒的優位が弱者の上に立ち続けるのだ。力の支配と奴隷社会、これこそアメリカの発展を支えてきたものなのだ。そしてそれは、西欧社会の根源的な欠陥でもあると思う。