人は人を頼りにしている。人は社会を世間を頼りにしている。いつからこうなったのでしょう。人を頼らず、自分の頭で自分の進む道を考えることができなくなっているのです。その心は弱く、不安で、何よりも大切な自分を捨て去らなくては生きていけないと、直感するのです。
自分を取るか、社会を取るか、その選択を迫られた時、僕は自分を選びました。苦しい道でした。やりたくないマージャンは断り、興味のない野球の話には反応せず、徒党を組むことをやめました。仲間と認められない、居たたまれ無さに耐えました。
結局僕は、心の前に体を壊し、結果として社会の王道から外れました。それでも僕は、自分の心を見ながら、心が求めることを追っていたのです。モノを作ること、これが僕の心です。自分の頭で考え工夫してモノを作る、その時僕は一心にその事だけに心を向けている。
木工、革細工、裁縫、電子工作、支離滅裂ですが、自分なりにはストーリーがありました。箱でも、棚でも、服の繕いでも、部屋の模様替えでも、身の回りの作りたいモノからは逃げませんでした。誰かの作ったモノでやり過ごすのは、満足出来なかったのです。その為の道具も少しずつ揃えました。経験も重ねました。
でも、いつも目の前のモノだけに目が行っていました。その先に何があるのか、じっくり見ようとする事に気がつきませんでした。それは、自分の心の奥にある魂の求めるモノなのです。68歳とは、時間がだいぶ経ってしまいました。
もういい加減、準備は終わりにしましょう。魂の求めるモノに向かいましょう。その方向で、この人生でどこまでいけるか。向かう事に意味があるとも思いますが、やはりある程度の結果も出したい。心の王国をもう少し社会に還元したい。