家庭の安住

僕は68歳です。自分では認識がありませんが、完全なる老齢期です。子供は家を出て、今は妻と2人暮らしです。コロナ感染で騒がしいこの頃ですが、健康上も金銭上も重大な不安はなく、これを幸せと言わずに何とするのでしょう。

 

警備の業務は時間の制約があり、体調管理も大変ですが、家に帰れば、暖かい風呂と心を込めた食事が待っているのです。若い頃に描いた、幸せな人生と呼ぶ輝かしさはありませんが、この平凡さこそ安住の境地に他なりません。

 

しかし、世間を見れば、熟年離婚や、仮にそうではなくても心の交流や会話の少ない状態を耳にします。人ごととは言え、悲しさ寂しさに心が沈みます。一体どうしてこうなってしまうのでしょう。

 

その鍵は家庭の主、即ち主婦にあると思います。仕事から帰ってきた時、家庭が癒しの場であれば、男はその家庭を必要とし大切にするでしょう。帰ってきた途端に、愚痴や文句を並べ立てられたら、家庭は帰ってくるところではなくなってしまいます。家に帰る前に、より慰めてくれるところは寄ってしまうでしょう。

 

そのためには、家庭を守る主婦は、毎日を一生懸命に家を守る気持ちを持ち、その時の苦労も前向きに考える事。そして、裁縫や掃除や料理で寛げる空間を作る事に楽しみを待っている事が求められます。ただ真面目で、きちんとしているだけではなく、遊び心を、楽しさを求める心を失っていない事が大事なのです。

 

しかし、一方、これは主婦だけでは実現できません。この事が可能であるためには、パートナーを信じられる事、経済的に安定している事が必要なのです。また、豊かな生き方を社会全体が応援する雰囲気も必要でしょう。世の中が、効率や能力にこだわり、ゆとりを失った価値観が支配していては難しい事なのです。ただただ表面的な喜びや笑いを求める社会では駄目なのです。そして、個人個人が、人生を深く味わおうとする修養の気持ちが必要なのです。

 

このような条件が整っていれば、家庭は安定し安らかな場となれるのです。そしてそれは個人の責務でもあるのです。それを壊すものがあるとすれば、それは病気や事故や天災などの運命的な事だけでしょう。きっと、社会とは、政治とは、この運命に対して後ろ盾になるべきものなのでしょう。