死生観の見直し

たいそうなタイトルをつけてしまいました。「死生観の見直し」。僕は今の米中対立や日本や韓国の政治的混乱、そしてコロナウィルスや中国大洪水、これらは死生観の見直しを”天”が与えているの現象ではないかと思うのです。おかしいことをおかしいと言えない世界、人民の思いや願いかなえられない政治、これらは、「人間どもよ今一度考え直せ」と言われているのではないでしょうか。

 

僕は、神とか仏とか、それを信じているとは言えないけど、なにか「宇宙の摂理」とでもいうべき、人智を超えた法則がある気がしています。人類は、たったこの2・3千年の間に目まぐるしい社会変化を経験してきました。その地域ごとの自然環境の中で、人々は必死に生きながらえてきました。そして世界の人々は、それぞれ自分たちに合った死生観を創り上げてきたのです。その死生観のぶつかり合いが今の世界のどうしようもない混乱ではないでしょうか。

 

古代エジプトのアラー・中東でできたユダヤ教キリスト教イスラム教、これらの神は一人です。自然と人間は対立し、人間は神の絶対の力に支配され、死ぬと生きていた時の行いによって天国か地獄に行くことになるのです。また、中国でできた儒教的な考え方には、死後の世界はあまり表現されず、現世の生き方が多く語られます。この現世中心の感じ方は中国や朝鮮に広まっています。一方日本は、この世は仮の世であり、現世より死後の生き方に重きを感じるのが基本なのではないかと思います。

 

いずれにしても、現世をどのようにとらえるか、死んだらどうなるのか、人間の本来の姿はどのようなものか、この違いによって、社会の構成や世界とのつながりは大きく違うのです。韓国人の意識が日本人に理解できなかったり、日本人の心が西欧人に見えにくかったり、中国の一方的な膨張に恐怖を感じたりしているのです。同じ政策であっても、それそれの死生観によってとらえ方は大きく違うと思います。これらの根本的な相違を乗り越えて、果たして世界的な協調ができるのでしょうか。

 

お互いを尊重する、理解しあうというのは理想です。人類は、今までアンタッチャブルであった「死生観の違い」を認識しあうことが必要かもしれません。宇宙の摂理は、死生観を後回しにして世界を構成すること自体に、警鐘を鳴らし始めているのではないでしょうか。いまや世界は一体となった社会です。死生観が違っていたら理解しあう事は難しくなります。もしくは、死生観が違っていても協力できる仕組みを、考えだすしかありません。