女の力

スーダン政府が、女性器切断(FGM)という風習を禁止したというニュースがありました。いまだにそんな風習があるのかという驚きの思いがあります。世界には2億人ものFGMを経験した女性がいるというのです。

 

女性を痛めつける風習というのはどうして発生するのでしょうか。文化によって考え方は違うと思いますが、イスラム世界の黒い女性衣装や、かつて存在した中国の纏足なども女性を縛り付ける考え方があると思われます。全世界に存在していた宦官についても、その存在理由の一つは、皇帝が女性を独り占めするためだったのです。皇帝一人が何百、何千という女性を囲ったという事には驚きです。その根底には、女性を所有物として扱う考え方を感じます。どうしても体力的に力のある男性が女性を制約するのは動物的にも根拠があるのかもしれません。

 

日本にも男性有利な風習や法制もあったと思いますが、上記のような世界の現実は僕には信じがたいものがあります。日本は古来男女は対等であったと思われ、その感覚が日本人にはあるのだと思います。万葉集を見ても男女は対等に恋の歌を歌い、男が女の居所に通う習わしであり、女が男から独立していた様子がうかがわれます。むしろ日本では、女を縛るのは女の世界であったとも思われます。江戸時代の大奥はその典型でしょう。

 

古事記を見ても、世界を照らすのは天照大神であり女性です。男性の須佐之男命は力はありましたが天界からは追い出されています。体力ではなく、世界を支配する力を女性の中に見ていたといえるのです。

 

僕個人の感覚からしても、女の力は大きいと実感しています。それは腕力ではなく、精神的にバックになりえる力です。女性が感覚的に何かを信じる時の揺るがない心は、理屈ではなく、男性にはないものと思うのです。かつての特攻隊の心の支えは母でした。活躍する男の後ろには内助の功という女の支えが必要でした。僕はこういう古来の感覚を大切に思い、女の力を感じています。