自宅待機

非常事態宣言により、僕の警備隊勤務も、出勤が半分になった。収入が減ることになるが、幸い僕の家族はそれほど切羽詰まった状況では無い。ただ、ローン返済や家賃を払っている同僚は、やりくりが大変である。条件付きとかいうのでなく、早急に現金給付が必要である。政府の対応は、繰り返しいうことだが、こう言った庶民の生活感覚がない。、、政治批判はさておき、、

 

給付がなくお金は窮屈になったが、計らずも時間の給付をもらったとも言える。久しぶりに、10年ぶりと言ってもいいが、連続した4日間の休みができた。警備業務とは土日休日もなく、人生の“時間”を売っているんだと、改めて感じた。ともあれ、時間は貴重である。特に僕のような残りの人生の時間が限られている場合は、である。その時間を手にしたことは誠に嬉こばしい。

 

しかし、その休日の初日である昨日は、ホッとした思いと、今までの疲労感があり、一日中ダラダラと過ごしていた。氣力が蘇ってこないと何もできないものである。ただそうやって、「休む」ことも大事である。おかげで今日は、整理や、やり残しや、気になっていたことや、色々な事ができた。時間とはありがたい。こうやって動ける身体、そして頑張る氣持に感謝である。

 

ふと、僕たちは、自分のための時間を「仕事」をするためにやめて、代わりに「お金」をもらっていたんだと氣付いた。お金も大事であり、それがなくては生活できない。しかし、お金とは、自分の貴重な時間を、自分のために使う事なく、会社に売って得たものなのである。そして、その得たお金でやりくりし、「自分の貴重な時間」を取り戻している事なのだ。ということは、仕事をするとは、お金をもらうためではなく、自分の時間を取り戻すためのものと言える。

 

しかし、「仕事→お金→時間」とはいかず、「仕事→お金」で終わってしまっているのが一般庶民の生活ではないか。そして、本来の、「自分のための時間」の使い方を忘れてしまうのだ。今一度、仕事とは何っだったのかよく見極め、自分の時間を取り戻す事を心がけるべきである。これは「自宅待機」をして、改めて確認した事である。