原発メルトダウン 危機の88時間 (武士道3)

NKH BSで「原発メルトダウン 危機の88時間」を見た。3.11の地震津波による、原発メルトダウンという、人類にとって初めての危機をドキュメントしたものだ。中央監視室という密室の中で、想像を絶する混乱と闘い、東日本の壊滅を覚悟した衝撃的なドキュメントだった。

 

停電という暗闇の中、爆発と放射能という人体への危険に晒して、メルトダウンを回避する事がいかに困難極めた事か、僕は認識した。どうやって現場を確認するのか。誰を行かせるのか。そして最終的に誰が残るのか。吉田昌郎所長は死を覚悟していたのであろう。

 

このような真剣の仕事の現場は、まさに戦国の戦場と同じだと感じた。大将がどういう作戦を立て、個々の戦いを誰にやらせ、自分はどう責任を持つのか。ああ、戦国時代は、現場は常に、この原発の監視室と同じだったんだ。これなら、真剣に生きなければならない。常時、危機の状況の中で自分をどう律するのか考えていなければならない。野生の真剣さである。

 

僕は、武士道という修養が、生まれざるを得なかった理由を見た思いだ。これなら、真剣に生きようとする、いや、そうせざるを得ない。現代の文明文化は、人間を死の恐怖から隔離し、平和に生きる社会を実現している。しかし、その事によって、僕も含めて、死と直面した真剣さを忘れてしまっているのだ。

 

だが、どんなに社会が整備されても、何処かで誰かが、過去の野生と向き合っている必要があるのだ。自然災害と戦い、険しい山谷を拓き、動物を殺して食料とし、これらはまさに、先祖達が常に直面していた事だ。その野生を心から抹殺した時、人類は自然という天地の摂理から見放されると思う。

 

武士道とは、この野生の心を調和の取れた人類の心に昇華する作法ではないだろうか。