養生訓(死ぬまで生きる3)

人の身は父母を本とし、天地を初とす。天地父母のめぐみを受けて生まれ、また養われたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養いて、そこないやぶらず、天年を長くたもつべし。

 

貝原益軒の養生訓の出だしである。江戸時代初期、83歳で書き残したこの書には、当時古今の書を読破し練り上げた、益軒の思想と人生観が集大成されている。その氣力・胆力には頭が下がる。しかも300年以上前の時代である。僕にそんな力が出せるであろうか。とてもおよびでない。そのような人物を目の前にしたら、僕は背筋が伸びて全身に電気が走るであろう。

 

病弱であった幼少の頃から、思索しつ積み重ねていった哲学には共感するものがある。まさに、死ぬまで生きて考え続けていたのである。僕の指標であり、指南でもある。

 

長生すれば、楽多く益多し。日々にいまだ知らざる事をしり、月々いまだ能くせざる事をよくす。

 

今ひとり挙げるとすれば、伊能忠敬である。50歳から天文学を学び、55歳から17年をかけ日本を測量するのである。全国測量を完了したが、地図の完成は目にする事なく73歳で亡くなる。でもこの生き様、その胆力たるや想像を超えるものだ。

 

貝原益軒伊能忠敬だけではない、日本には多くの偉人がいるのだ。僕はそのことを思わなくてはならない。今の僕の緩んだ精神では、恥ずかしくて顔を合わせられない氣持ちになる。自分がなく忖度し長いものにまかれる精神が蔓延する現代、僕は自分自身を切磋琢磨し、このような偉業の精神に少しでも近づきたいと思っている。