女性はおしゃべり

結婚記念日は2月11日である。結婚生活37年、独身時代31年となって、人生の半分以上が結婚生活となっている。そして徐々に妻の性格や好みはわかってきたが、どうしても超えられない壁がある。それは、おしゃべりと気づきである。

 

妻に不満顔される第一の場面は。気づいてほしい妻の変化に気が付かなかったときである。髪を切った、服を変えた、部屋の飾りを変えた、こういった変化には気づかなくてはならない。気づかないという事は、妻からすれば、私に関心がない、私のしていることを評価していないという事になってしまう。

 

正直言って、僕はそんな表面的なこと、そう言ったら妻は激オコであるけど、にはあまり意識が向いていない。それではいけないことも分かったので、指摘されたら、気づかなかったことを詫びて、少し大げさに評価をしている。そして、何か変化に気づいたら、それを言うように心掛けている。僕は家にいてまで気を張ることは勘弁だが、家にいてこまごまと処理をしている妻を思えば、こういう気づきが大切であることは理解するようになった。

 

もう一つの大きな壁は、おしゃべりである。妻は、というか女性はと言っていいが、よくしゃべる。それも長時間にわたってである。僕は、喫茶店でのおしゃべりはせいぜい1時間でいい。2時間もしゃべったら疲労感が出てしまう。僕は、しゃべる事より考えたいことがあるのに、それができないという苦痛を感じてしまうのだ。

 

一方妻は、2時間ぐらい経過すると、それからが話の佳境になるである。これでは全くかみ合わない。これに対しては、まとめて話を聞くというのではなく、こまめに話を聞くしかないようだ。

 

実は、この二つ、おしゃべりと気づき、を解消する方法がやっと分かった。それは食事である。妻が用意してくれた夕食を、おいしいと言い、ありがたいと言い、食卓に飾った人形や小物を楽しいと言い、おしゃべりするのである。いや、やっと僕が、それがおいしく、ありがたく、楽しいと気が付いたといっていいであろう。

 

今日も妻はしゃべりっぱなしであった。食後のお茶を飲んでいる時も、顔を乗り出して、泡を飛ばして話をした。大げさでなく、本当にそうなのである。僕も、それを聞いて妻の活き活きした表情を見るのが、うれしくありがたく思う。