音楽に魂を

僕の、音楽に対する気持ちを、まとめておきます。それは、一言で言うと、音楽には魂がないとダメだということです。正確であるとか、テクニックが有るとか、そういう事で音楽は評価されないという事です。音楽とは楽譜でも機械の自動演奏でもない。人が、歌ったり演奏したものが音楽と言えます。

 

不思議なもので、どんなに音声の良い緻密なコンピューター音楽であっても、優れた音楽家の生身の演奏にはかなわない。多少音が外れたってそうなのです。どうしてでしょうか。それはその中に魂があるからだと思います。魂とは、音楽の波に合わせ、それとは違う波動を持って人に伝わるものなのでしょう。これこそ、将棋や碁で人間に勝つこともできたAIが、超えられない壁なのです。

 

先日、両手のない少女が、足の指でキーボードを弾き、歌う動画を紹介しました。感動そのものでした。極端にいうと、伝わるのは音楽ではない、魂なのです。でも、その魂が乗りやすいものが、音楽であるとも言えます。想像するのも汚れますが、同じ形のロボット人形が同じ事をやったらどうでしょう。逆におぞましい雰囲気になってしまうでしょう。この時のロボット人形と生身の人間との違いは何でしょう。生身の人間が発することができ、ロボットが発せられないものは何でしょう。それを魂といってもいいと思うのです。

 

この、魂を込める事、それがないから多くの音楽初心者が、楽器の練習を途中でやめてしまうのです。僕もそうでした。ギターも、尺八も、ピアノもです。ただマリンバだけは、強制的に親がやらせたため、ある程度続きました。そして今、この歳になって、その技術を持たせてもらったありがたさに気付くのです。その技術がなければ、音楽に魂を込める事ができないのです。

 

僕は、将来、母が亡くなった後も、魂を込めて天の母に聴かせるマリンバを弾き事ができます。目を閉じて僕のキーボードを聴く母の表情は、僕の音楽の魂の元でもあるのです。

 

また、妻のピアノ伴奏でも練習をするようにもなりました。これも、母と同じく、老いゆく人に聴いてもらいたいと思っています。仮にそれができずとも、その思いを持った父母がいたと、子供たちには伝えたいのです。

 

これが、僕の音楽に込めたい魂なのです。

 

腕のない少女の歌声

https://youtu.be/uwTpbRPT4HU