僕にとっての音楽

母はほとんど寝ています。見舞いに行くと、眼を開けて、「いつ来たの?」「良一さん嬉しい」といいます。寝ているようですが、ずっと待っているのですね。その空白の時間を考えると、とても耐えがたいものを感じます。よくじっと待っていたね、と心で言います。少し会話をし、少しはっきりとした段階で、本を読んだり、コンピュータで音楽を聴いたりします。そして、部屋においてあるキーボードで、パッフェルベルのカノンを弾きます。

 

実は僕は今年になって、若い時習っていたマリンバを再練習しています。昔からやりたかったのが、パッフェルベルのカノンです。僕は、Web上や書籍の楽譜をみて、4声和音を基本として、マリンバ用に編曲しました。同じものをキーボードで弾いて母に聞かせているのです。

 

弾いている間、いつも母は、目をつむっています。曲が終わると、ややあって目を開けて、もっと弾いてくれという風にこちらを振り向くのです。とても心が落ち着くようです。穏やかになるようです。それが僕にも伝わってきます。

 

僕は、僕が音楽で目指していたのはこれなんだ、と気が付きました。長いこと生きてきたね、頑張ってきたね。何とかしようとして、今ももがいているのなら、そんなことは考えなくてもいいから、そのままで穏やかな心でいていいのだよ。僕はいつもそういう気持ちになります。

 

僕の音楽は何を目指しているかという問いの答えは、この気持ちなのです。それを確信したのは、同じホームに暮ら女性にあった時でした。80代ぐらいのその女性は、不自由な手足を支えながら、一生懸命、体を元気にさせようと歩く練習をしていました。「お元気ですね」と問いかけると、「今ね、歩く練習しているの」と答えました。

 

恐らく、元気な時は、凛としてしっかりしたお母さんであり、妻であったのでしょう。それがままならない今、切に自分を保とうとしている様子に、『そのままでいいのですよ』と心で声掛けをしていました。僕は、この女性にも、僕の音楽を聴いてもらいたいと思ったのです。それ以来、僕の音楽はその方向になりました。