お友達政治による腐敗

桜を見る会の招待者への疑念は晴れてはいない。僕は、これこそ「お友達政治」の結果と思っている。協力してくれたお友達を招待し、ご機嫌をとり、またお友達でいることを約束する。

 

世間一般の事であれば、これはよく行われている事。別に悪いことではない。むしろ世の中の潤滑油として推奨されてもいい。しかし、政治の世界はこれとは全く違う。その事が念頭にない事が問題なのだ。

 

世の中には色々な境遇の人が居る。それを互いに認め、社会を構築しなくてはならないとすれば、特定の人に寄り添ってはいけないのである。「お友達」ではいけないのである。成功する人もあろうし、失敗を重ねる人もある。その色々な人がいて社会を構成しているとすれば、その色々な人が、尊厳をもって生きていけるようにしなくてはならない。そうでなければ、その成功している人も存在しえないのであるから。

 

僕はこれは、学閥政治に甘んじた倫理観の欠如と、それに失望した国民の心の腐敗が原因と思う。最終学歴に限らず、有名大学入学者を多く輩出する有名高校など、その学歴を構成する学校教育の中でのお友達関係ができあがる。この関係の中には政治とは違う、お友達関係が厳として存在する。だから、そのエリートのだれかに倫理観が欠如し、不正を働いた場合、そのお友達としてそれを是正ができないのではないか。このようにして是正できないで上層が腐ってくれば、国民全体が腐ってくるのである。

 

具体的な例を現時点で上げるとすれば、伊藤詩織さんが山口敬之氏から性的暴行を受けたとされる件である。伊藤さんの申し立てと、各所の証拠により、裁判所が逮捕状を発行したにもかかわらず、検察の上司の電話一言で、山口氏を逮捕できなかったという。逮捕状を胸にし、空港で山口氏を待っていた検察官は、山口氏が目の前を悠然と立ち去るのを見るしかなかった。たとえ、正義感をもっていた検察官であったとしても、生活と将来を考えると黙るしかない。こうして正義感は踏みにじられ、心が腐敗していく。

 

このように、お友達関係に忖度した行為が、それに連なる心の腐敗を作っていくのである。そして、その根本が、政治を忘れた正義感のないエリートたちの腐敗であるのだ。「腐敗」は、どんどん表にさらしてなくしていくしかない。そうすれば腐敗は、陽にさらされた黴菌のように、たちどころに消えていくのだ。これこそがこの国を立て直していく根本なのである。そういう意味で僕は山本太郎に期待するのである。