正直ものが馬鹿を見る?

僕は施設警備員です。警備員としては、施設の持ち主の意向に従って、諸規則を遵守させることも重要な任務となります。例えば、駐輪場を施設利用者以外には使用させないようにするとか、マンション住人以外は敷地内を通りぬけしない様にするとか、敷地内では禁煙とするとか、ごみは分別して出すとかさまざまである。

 

これら利用者のマナーに訴える規則は、細かく注意をしていけばだんだん改善されていく。しかし、一定以上は良くならないのだ。お願いしても守らない人が必ずいるのだ。人の目を盗んで何度でも規則を破るのである。そういう人たちは、他の人がマナーを遵守しているのに、自分たちだけは都合よく便利に施設を利用するのである。

 

つまり、監視の目をくぐるようにすれば、どんな規則だって破ることは出来てしまうのだ。そして、良識のない人がいつも得をしている。ということになってしまう。罰則を厳しくしてもそれほど効果はない。正直者が馬鹿を見る、ということなのか?

 

これを改善するためには、警備員だけではだめなのである、施設利用者が監視の目になり。注意をし合う、声を掛け合うことである。そういう意識を高めることが大事であり、効果があることなのだ。警備員に任せた、だから自分たちには責任がないということでは限界がある。だから警備としては、マナー違反を取り締まる一方で利用者の意識を高める努力が必要なのだ。地域の安全にかかわる、警察と住人との関係でも同じことがいえよう。

 

もうひとつ言えることは、こうしたマナー違反は根絶できないし、そうしたらだめなのである。マナー違反があるから、マナーの喚起ができる、という言い方もできるのではないか。マナー違反が起きたら注意をする、その繰り返しも大切なことなのである。

 

正直者が馬鹿を見る?、ということも、こういう見方をすると、決してそうとばかりは言えない。などと、つらつら考えながら、今日も巡回で施設を回っている。