良いと思うことでも押し付けることは悪

僕がこの歳になってやっと気づいたことの一つに、良いと思うことでも押し付けることは悪いことだ、ということです。人は、良かれと思って、自分が良いと思うことを他人に勧めます。これは良いことです。でも、それを強制してはいけないのです。

 

僕は長い間、嫁姑の間で苦しんできました。嫁(妻)の足らぬとことを教えようとする姑(母)の気持ちもわかる、そうなってくれればいいと僕も思っていました。僕も母も、やはり、同じ価値観を持っていますから、妻のためにもそうなってほしいと思ってしまうのです。それを受け容れない嫁と、いらだつ姑との間が次第にエスカレートしていきます。嫁(妻)が大変に苦しんだことは、今にしてみるとよく分かります。

 

人は、自分が良いと思っていても、必ずしも他人にとって良いことではないのです。最初、母は妻に、女としての所作、料理とか裁縫とか日常の作業を教えようとしました。しかし、妻にはそれを受け容れるだけの余裕もまだ、それを学ぶ準備もありませんでした。それは、大きく言えば、文化の違いです。

 

現在結婚生活37年、裁縫は相変わらず僕がやりますが、妻は手料理を作ってくれるようになりました。そして、料理や裁縫ではない、楽しさとか面白さとか、僕が育ったのとは違う文化を作ってくれました。僕が育った文化とは違う安らぎを作ってくれました。

 

良いと思うことは、その文化の中では良いということです。違う文化もあるんだということを認識していなければならないのです。料理や裁縫もいいかも知れません。しかし、それを受け容れてしまったら、今の妻ではなくなってしまった気がします。

 

ふと、このことは、国家同士でも同じではないかと思いました。西欧文化共産主義も、押し付けはいけないのです。押し付けては壊れてしまう別の文化もあるのです。押し付けられる方の国も、自分の文化を守りつつ成長し、その押し付けようとする文化にも気づかせるようになることが求められます。そして、その前提として、押し付けは悪という認識を、持たなくてはなりません。