哲学とは自分自身に発見するものである。

哲学とは自分自身で自分自身に発見するものである、ということを僕はアインランドから学んだ。アインランドは1905年ロシア生まれのアメリカの作家であり哲学者である。彼女は、作家か哲学者かどちらか問われ、両方だと答えている。また、作家は自分自身が気付こうか気付かまいが、哲学を持っていないと人物を描けないと言っている。アインランドはその哲学を明示的に表現した文学作品をいくつか書いている。彼女の作品の中の人物は、世の中一般の流れに乗ることなく、自分自身の頭で考え行動していくのだ。

 

僕は、アインランドのいくつかの哲学に関する書を読んで、それまでの哲学に対する態度が変わった。それは、哲学は学ぶものではなく、自分自身の中に発見するものだということである。それまでの僕は、古来の哲学者の思索をとことん知り尽くすことはできないと思っていたし、哲学なんて遠い存在てあった。しかし、アインランドはまず自分が存在して、その上で歴史上の哲学者を批判的に見ていた。

 

アインランドは、人間は抽象化する能力を持ったただ一つの動物であり、その能力によってのみ生存できるという。そして、今までの歴史は、その抽象化する能力を封じて、下層民を押さえつける支配層によって作られてきた。その証拠に、その能力が開花した瞬間に歴史は大きく発展してきたというのである。

 

アインランドの哲学論を語るにはまだ勉強不足だが、哲学に対する態度は学ぶことができた。そして、哲学を遠い存在としてあがめる気持ちから解放され、もっと自由に、自分自身の学びとして哲学をとらえることができた。

 

アインランドが、文学の人物描写には哲学は不可欠である、と言っているが、そのことはまさに、人は生きるために哲学が必要だということだ。いや、生きているということはすなわち、すでにその人の中に哲学が存在するということなのだ。

 

だから、哲学とは勉強するものではなく、自分の生き方をしっかりと見極めることだったのである。僕は今までの人生は不器用ではあったが、心まで敗北することはなかった。そして、これからの残りの人生で与えられた役割を果たそうとしている。言葉として明示されてはいないが、そこにはすでに哲学が存在しているのだ。可能ならそれを明示的に言葉にして残せれば幸せである。