按針

この気持ちには言葉が見つからない。強いていえば自信だろうか。信頼と言ってもいいかもしてない。そして僕はこの気持ちを感ずるので落ち着いていられる。

 

僕は、自転車で職場まで通っていたことがある。片道1時間ぐらい。夜遅く帰る時で、車の少ない時は、45分ぐらいで家に着けるときもあった。町の様子を見たり、土手や、川の横をすり抜けていくのは、とても気持ちがよかった。自宅と職場とが、どのようにつながっているかがわかって、とても心が落ち着いたことも覚えている。

 

さて、何か月か経たある時、僕は両手をハンドルから離しても、自転車をこげることに気が付いた。驚きだった。恐る恐るちょっと重心を傾けてみる、なんと方向も変わるではないか。あわててハンドルに手を戻すが、またそっと離してみる。できるではないですか。

 

数日後、僕は平然と両手を離し、自転車に乗っていた。僕にもできるんだぞ、という優越感に浸って。

 

正直言って、僕は運動が苦手だった。体育の時間は、それほど楽しくなかったし、何とかやり過ごしてきたものだった。その僕が、両手を離して自転車に乗れているのだ。その自分の体を観察すると、重心が安定している。ぶれていないのだ。落ち着いて、とても解放された気分なのだ。

 

必死にそうなろうとして努力したわけでもない、ただ毎日乗っていただけ。しかし気が付いたらできていた。そうだ、スポーツ選手が、何度も何度も練習をすることの意味は、このことなんだ。僕の場合は、そんな目標なんてなかったけれど、何度も繰り返していたことには変わりはない。これなんだ、と思った。

 

この経験は僕にとってとても大きな出来事であっんだと、その後改めて気が付いた。繰り返すことによって、体や頭の神経が何かの変化を起こしている。摩訶不思議な働きがそこにある。この気づきは、僕にとって、大きな安心感となっている。