男と女

古事記に男と女の違いについて、女は「成り成りて、成り合わぬ処一処在り」、男は「成り成りて、成り余れる処一処在り」と書かれています。身体的には全くその通りです。でも僕はこれを精神的な事としても捉えられるのではないかと解釈しています。

 

女は完成に限りなく近づいているけれども、何か一つ足らなくて完全になってない。男は何も無いけどひとつだけは大事なものを持っている。僕はこんなふうに捉えると妙に納得するのです。

 

一般的にですが、平均してみると、女性の方が慎重で、現実を踏まえていて、真面目で結局のところ正しいと見えるのです。その例として、理系女子は男子より真面目にノートをとるし授業にちゃんと出て成績もいいと言われています。

 

家庭でも妻は夫の散らかした後を片付けてまわり、母となったら同じことを子に対してやっている。どうしても女性の方がきちんとせざるを得ない。僕は自分のことを省みると、男の方がだらしなく勝手でいい加減と思うのです。

 

さて、古事記ではさらに、「吾が身の成り余れる処を以ち、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて」国土を生み成さむ、すなわち、やることを完成させよう、と言っています。僕の勝手な解釈によると、女の未完成の身に、男の一物をあてがうことによって、完成されるということです。

 

もしかして自然の神は、完成されて発展がなくなってしまわないように、その一部をはぎ取り自由にさせることによって、よりダイナミックに命を育てようとしたのではないかと思います。そして女は未完の不安を持ち、男は自由から安定を求め両者は合体し事を成す、ということではないでしょうか。