奪い合えば争い、認め合えば仲良く

何人かで一緒に食事に出かけた時、ある人はイタリアン、別の人はそば、またある人はフレンチが食べたいとそれぞれ好みが違ったら、どうしますか。どうしても自分の好みのものを食べたい、と言うのならどうしたらいいでしょう。

 

答えは簡単、それぞれ別々に好きなものを食べに行く、です。実はこれが出発点なんです。

 

どうしても一緒に食べたいなら、譲り合うしかない。そして、どうしてもそれが食べたくないのなら、その人だけ別に食べに行けばいい。仮にそうだとしても、それを変な奴だとか、おかしいとか言ってはいけない。また、自分の好みを削っても、一緒に食べた方がいいと思ったら、一緒に行くメンバーになればいい。メンバーが自由で独立している、と言うのはこういうことではないか。

 

和をもって貴しとなす、と言う前提の日本社会においては、このような認識を持つべきではないかと思う。お酒が好みでなければ、飲みに行かなければいい。人前で歌う歌を持っていなければ、無理にカラオケに一緒に行くこともない。でもどうしても一緒にカラオケしたいのなら、恥ずかしがることなく歌を教われば良い。そして教えてあげればいい。そしてその人を応援してあげればいい。

 

優しい社会になる、と言う事はこういうことが前提ではないか。無理に和を作ることも、主張を押し通すこともない。

 

冒頭に食事の好みで例を挙げたが、これすべての好みに対して言えることである。人間の好き嫌いは多様である。好みを無理に一緒にしようとするから、無理が生じ、いじめが発生する。本当に独立した人間同士の社会を作ろうではないか。そしてそれぞれが自分の思いを目指せる世の中にしようではないか。