教育とは

僕の妻は、自宅で子供たちにピアノを教えている。主に小学生、それも低学年の小学生だ。彼女・彼等はまだ塾には行っていない。親たちもこの時代は情操教育と思っているのであろう。

 

今さっきの小学校3年の女の子は、ディズニーの小さな世界を弾いていた。聞くところによると、これは本人のたっての願いだと言う。バイエルや、ドリル以外にこれをやりたかったのだ。僕もかつて楽器をやっていたので、その気持ちはよくわかる。ただその先生はよくわかっていらっしゃった、音楽とは「音が苦」ではなく「音楽」だと言われた。

 

僕にもやりたい曲があった。でもそれをやるためには、基礎の練習をしなければならないと知ったのはしばらく経ってからであった。でもそんな事は小さい子には無理だ。くじけないように指の練習も兼ねながら、弾きたい曲を実現させて行く事は想像するより難しい。

 

女の子の「小さな世界」、大分うまくなった。よかったね。自分が実現したい山を1つ越えられるかな。山を越えながら、もっと大きな山にも挑戦でき、そして自分を実現できるようにがんばって欲しい。

 

教育とは、自分の夢を実現できるように支援することと思った。助けられながらも山を越えられるようになったら、今度は自分自身で山を越えていこうと思えるようになるだろう。

 

今の教育は、勉強(勉め強いる)させるところであって、自己実現を学ばせるところではない。勉強には、自己実現の動機はなく、勉強と言う枠に人を押し込める性質がある。ピアノで言えば、ドリルや指の練習を限りなくさせるだけである。自分の夢の実現や自己の確立等はそのレールの上にはない。僕たちはそろそろ目覚めて、自己を実現する学びを子供たちに伝えたい。