おかしい事は「おかしい」と言おう

今、米中の対立はますます厳しいものになってきている。アメリカが、「おかしいものは、おかしい」と言い始めたのである。ウィグルにしてもチベットにしても「おかしい」と思う。何故おかしいと言えないのか、"それ"こそ「おかしい」。

 

その理由として言われることが、経済的繋がりだ。おかしいと思っても、経済的に繋がっているから変えることが出来ないのだ。経済、即ち自分たちの「生活」がそれによって縛られているが故に、おかしいと言って縁を切る事が出来ないのだ。

 

でも、それでも、アメリカは、「おかしい」と言い始めたのだ。経済的損失があっても「おかしい」と言う事を選択したのだ。目の前の経済的損失を甘んじても、将来の自分達の「正しい姿」の方が大切だと決断したのだ。

 

経済より正しさを選んだのだ。経済による支配より倫理的価値による支配を選んだのだ。一部の人間の利益支配より、多数が秘めて思っている倫理の支配を優先させるのだ。これは人類の社会通念を変える大きな潮流なのだ。

 

米中だけでなく、日本国内であっても、おかしい事は「おかしい」という潮は、確実に大きくなってきている。