「心」を読む

夏目漱石の「心」を読みました。学生時代に、課題だったか、読むべきと思ったのか失念しましたが、一度読んだことがあります。その時は、なんだかとても暗くて重たい気持ちしか残らなかった思い出があります。でも、今回改めて読んでみて、とても深く共感するところがあり、このような作品を日本人として持っていることに感謝をしました。

 

冷静に考えてみれば、このような作品を”学生”が読んだとしても、とても共感と言う事はできないのではないでしょうか。とは言え、訳も分からずとも、若い頃読んでいたことは今回再読するきっかけになったのですから、意味がなかったとは言えません。

 

さて、「心」ですが、これほどまでに心の動きを表現していることに感動しました。僕とて、それなりに人生を過ごしてきたわけですから、その心の動きに自分の過去をあてはめ、共感できるわけです。自分の思いと現実の世間と、大きくは組織から小さくは家庭まで、揺れ動いてきた自分を思い出します。心の奥底からの思いと、周囲の環境がそれを許さないない苦しみがあり、自分自身では解決できないでつらいものがありました。特に僕は根が頑固でしたし、好かないものは自分を曲げてまで合わせられなかったのです。

 

この作品では、「恋」とそれにまつわる駆け引きや策略が、自分のプライドや良心や勇気や時の運や、そんなものによって思わぬ方向に行ってしまう「心」が克明に描かれています。客観的にみれば解決策もられましょうが、その追いつめられる本人にとって、心の動きはどうしようもない。そのようなどうしようもない自分の告白の表現を学びました。僕自身を伝える幅が少しでも広がったようにも思いました。

 

もともと「文学青年」とは言えなかった僕は、この作品は長いと感じて読み切るのにとてもエネルギーが必要でありました。しかし、時代は進んで、現在は「朗読」してくれるサービスがあります。それに支えられ、今回は、実際の本を手に、10日ばかりで読み終えました。今後もこのようなツールを用いて、今まで見逃していた文学をチャレンジしようと思ったのです。