菖蒲湯

今日、5月5日は端午の節句です。小さい頃は大きな緋鯉と真鯉が各家の屋根上を泳いでいたものです。今では端午の節句であったことも忘れそうなご時世です。単なる普通の休みに成り下がってしまった。

 

でも、今日、泊りの仕事明けで帰宅すると、妻が風呂桶に菖蒲を浮かしてくれていました。菖蒲湯です。その昔は、毎年入っていました。その頃はその有り難みも思わなかった僕ですが、今日の菖蒲湯は心休まる、暖かな自然の氣を頂いた思いがしました。何か遠く先祖からの力を感じたのです。ああこうやって、僕は育ってきたんだなあと、思いました。

 

もともと、菖蒲の葉は疫病退散のためだったと、聞いたことがあります。病気にならずに大きく育てとの、親の気持ちでもあったのでしょう。それがどれほど科学的意味を持つのかわかりませんが、その科学的意味よりずっと大きな力を感じるのです。

 

効率とスピードとで追いやられた価値がここにもあります。それは自然の力を感じる心であり、効率とスピードでは得られない力の源です。効率とスピードでは得られないもの、それは時間をかけた深い思索です。改めてそれをこれからの残りの時間にやっていこうと心に決めました。