LGBTについて

LGBTとは、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の頭文字を表した言葉である。簡単にこれに関する歴史を確認してみよう。

 

性の革命と呼ばれる動きは、欧米社会において、従来の性に関する社会通念や性的行動に関する概念にとらわれずに、解放された性行為を社会的通念として広めていく社会的革命を指す。最初に使用された用語は、 "Homosexuality"(ホモセクシャリティ)であった。略して“ホモ”とよばれるものであった。ホモには否定的な意味合いがあったので、後に、"gay" (ゲイ、陽気の意)という用語に置き換えられた。こうして男性同性愛者は、ゲイとしてアイデンティティを獲得していくのである。戦後から1970年代にかけての動きである。女性同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーも同じような経緯を辿る。しかし、一般通念として、これらは1990年ごろまでは侮蔑的な用語であった。これに対して、1990年代後半からLGBTという言葉が一般的となり、異性愛者と同じく、これらの人々も尊厳を持った人間として通念化されていくのである。

 

僕は40年前、20代最後の頃、アメリカでゲイ(当時の言葉ではホモ)にあったことがある。ホテルで話しかけられた男性から自室に呼ばれると、そこは数名のホモの溜まり場であった。下半身も含め全身裸である。下半身のそれは、綺麗に毛が抜かれていて、まるで磨かれた置き物のようであった。びっくりした僕は、そのことは顔に出さず、見せたいものがあるから部屋に戻ると言ってその部屋を出て、そっとチェックアウトしたのである。たしかに、その光景は異様であった。決して一般通念化できるものではないと今でも思ってしまう。

 

そして、僕は長いこと、ゲイとは、生まれた後思想的教育的に、ひとつの遊びとして行う行為であり、決して人間本来の感覚ではないと思っていた。しかし、そうではなかったのである。科学的調査により、あらゆる文化・民族において、男性の2〜5%はゲイなのである。生後に植え付けられた“性感覚”ではないのである。ではゲイが、どうやって子孫を存続させるのかという問題についても、調査によってその家系の女性によって引き継がれているようである。ただ、遺伝子の特定についてはまだ議論されている。

 

ということは、例えば、色盲とか、嗅覚障害とか、あるいは特殊な能力とか才能とか、そういった生まれた時に持っている生得とゲイは同じことになる(勿論ゲイは障害ではない)。例として、神経が通常より極端に過敏な人、神経過敏な人を考えてみよう。その人にとっては、この社会は窮屈で苛立たしく息苦しいものである。通常の人が気づかないことも気に止まってしまう事はとても辛いことと思う。この場合は、家族には同じ感覚の共有を求めるにしても、社会に対しては自分をコントロールしながら合わせていくしかないのである。つまり、社会に対しては自分と同じ感覚を共有することを強要はできないのである。一般の人からすれば、「神経症」「神経過敏」という言葉でうけとめられ、“ああそういう人もいるのだ” と受け止められるだけである。

 

つまり、この事をゲイにあてはめれば、一般の人が、“ああそういう人もいるのだ” と受け止めればいい事なのではないだろうか。目くじらを立てたり排除したりしなければ良い。逆にいうと、ゲイの人が、一般その他の人が自分と同じ感覚になる事を強要することもできないのである。これは、G(ゲイ)以外の、LBTについても同じではないか。

 

LGBTが生得の感覚であるという事であれば、このような対応になるにかと僕は思う。取り立てて問題にしないほうがいいと思う。そういう意味で、過度にLGBTを社会に押し付ける言動には、いささかうんざりでもある。