Re婚

27日の沖縄タイムズで、娘が20年ぶりに母と離婚した父に再開するニュースがありました。中学生の時、両親の離婚でどちらに付くかといわれ、母親についたという。雰囲気的にその選択肢しかなかったという。母親は一生懸命に育ててくれた。学校生活も楽しく送られた。しかし、父親のことを話すことは禁じられた。

 

娘は母親の気持ちを思い、母親の肩を持ち続けたが、父親のことがどうしても忘れられなかったという。母親の携帯から、父親の連絡先を見つけ出し、20年ぶりに声と聴いたという。

 

離婚はもちろん、当人同士にとってもつらい選択であろうが、思春期の子供にとってもつらく、心の重しとなる。離婚により、両親は解決できる部分があったとしても、子供は解決の糸口もない状況になるのであろう。子供こそ最大の被害者かも知れない。

 

離婚には色々理由がある。一方的に非がある場合、例えば無節操は異性関係とか家庭内暴力とか、そういう場合は離婚により新しい生活の希望ができるかもしれない。

 

しかし、当人同士が、互いに必死に生きていても、経済的・人間関係的理由で、心が離れてしまったり壊れてしまったりして、離婚に追いやられるケースは、とてもつらいものが残ると思う。当人にも子供にも大きな心の傷ができてしまうであろう。

 

こんな場合、つらい過去の出来事を、長い時間をかけて癒しながら、解決の糸口を探る努力が続くことを願ってやまない。子供にとっては、父も母も必要なのです。そして、当人同士にとっても、歳を重ね老いてくれば、淋しさが募ってくるのではないでしょうか。

 

離婚は一時の判断であり、その後、時間をかけて、Re婚、つまり再構築(Reconstruction)をすることも、排除すべきでなし、大切なことであると思う。ぼくも、もしかしたら、離婚してしまったかもしれない一人です。今こうして、互いの違いを認められるようになったのも、時間によるものです。人生は一人より二人の方がいい。

 

冒頭の20年ぶりに父親と会話した娘は、「一人で抱えて大変やったなあ。偉かったなあ。」とねぎなわれて涙した。父親との心のパイプが通じて、再構築(Re婚)できたことを心より願います。