飽きないとは

前回、木目模様の事を書いた。また以前、母親の介護で気がついたこと、枕草子の絵本の読書やカノンの演奏について書いた。これらに共通している事は、何度繰り返しても「飽きない」という事だ。

 

どうして飽きないのか、これらに共通していることは何なのか考えてみる。僕はその理由は、何度繰り返しても何か新しい発見がある、という要素があることだと思う。子供の頃、天井の木目模様を見ていた自分は、木目模様の中に今まで気づかなかった模様を発見したり、いつも見ている模様が違う風に見えたりしていたことを思い出す。

 

母の介護で時折読んでいる枕草子の絵本は、きめ細かい挿絵が描かれていて、色々な発見がある。「ここに小さな虫が描かれていた」とか、「この子は目をつむっているね」とか、「鳥たちが一所懸命に飛んでいるね」とか、その時の気持ちによって見え方に変化があるようだ。

 

という風に考えると、人の心は、いつも何らかの変化や発見を求めているのではないか。そして、いつもそれを提供したくれるものが、飽きないものなのだ。逆に言うと、新しい発見がなくなったら、飽きるということになる。遊びとかスポーツとか音楽とか、これらはいつも何らかの発見をするから、飽きずに繰り返したり、夢中になったりするのではないか。

 

もしかして、成長していくとは、この発見の連続であり、であるからこそ、成長する自分に飽きることがないのである。こう考えてみると、飽きないということは、人生にとっても大事なポイントかもしれない。