ゲーム、戦い・殺しあいの多いこと

僕がずっと前から不思議に思っていたことですが、どうして戦い・殺しあいのゲームが多いのでしょう。実は今日すれ違いの中学生が、殺し合いのゲームで興奮したと話していました。これを聞いて僕はどうしようもなく寒々とした思いになりました。確かにシミュレーションゲームです。しかし、そこは明らかに、相手を殺すイメージが明白にあるのです。

 

日本には、剣という殺人の道具がありますが、それを剣道という道に仕立て上げました。いざという時の心構えや平常心を養うことがその目的となり、剣は心の修養の道具となりました。そこには死と向き合う心、そして相手を思いやる心があります。単なるゲームではなく、道なのです。

 

同じ道の精神は剣に限らず、色々な日本文化の中に存在します。華道、礼法、書道、歌道、これらにはその対象そのものだけではなく、自分の内なる世界に向かう精神があります。高めていくという心構えがあります。

 

しかし、今の殺し合いのゲームにそのような精神が生まれる余地があるのでしょうか。ましてや小中学生に。多くの人は、遊びだからいいではないかというかもしれませんが、僕はその幼いころからの毎日の繰り返しに、大きな違和感を感じます。

 

ゲーム道というものが存在できるのでしょうか。殺し合いに限らず、恐怖や憎悪やグロテスクさや、そんなものに対しどのようにして自分を平常に保つかということが、ゲーム道だったりして。