お金が偉いから人が偉いへ

世界の状況や、政治の世界が、変わり始めたと感ずる。眠れる大多数の人々が声を発し始めている。「もうこんなのは嫌だ」という叫びだ。その根本は何かというと、その一つは「お金」だと思う。

 

私たち祖先は、物と物を交換し、より生活を豊かにしてきた。交換するお互いの物を見せ合い、同じ「価値」と判断できたら交換した。現代でも、人から物をもらったら、何か別の物でお礼をするのは、この価値の意識と似ている。それは、「物」だけではなく、行為や労力や愛情などの心の働きも、その対象となっている。そしてさらに重要なことは、その価値は人によって違ってくるということだ。ある人にとって価値あるものも、別の人にとってはとるに足らないものとなることもある。例えば、コップ一杯の水も、のどの乾いた人には貴重なものだが、食事を終えた人にとってはどうでもいいものとなる。

 

価値とは、人により、相手との関係により、周囲の社会環境により変化していくものなのだ。しかしそれだけでは、より盛んな交換も、それによってもたらされる豊かな社会もできることはなかったであろう。お金はその交換の潤滑油として誕生し、人類の社会に大きな役割を果たしてきた。ただし、その交換が限られた範囲の、限られた社会の中においてである。なぜなら、その時は、お金は、まだ物と人との関係による「価値」に基づいていたからである。

 

でもよく考えてみると、今のお金はちょっとおかしい。人は本当に「価値」をお金によって買っているのであろうか。人間関係と物やサービスによって決まる価値が、人間関係を切り離され、価値は物とサービスにだけに存在するようになっている。そうなると、人間関係を念頭に置くことなく、大量に物を買い求め、需要が増えたら高く売る、つまり金融が始まるのだ。金融とは、お金がある人にますますお金が集まり、庶民はいつも搾り取られる、という構図なのである。

 

このようになると、お金がますます価値あるものとなり、お金が大事になってしまう。本当は人間関係に紐づいた物の価値が大事なのである。

 

では、どのようにしたらいいのか。それは、お金だけを右から左へ動かすことで儲けることを制限するしかないのでしょうか。僕には経済的な知識はないので具体的にどうしたらいいかはわかりません。ただ、これだけは言えます。

 

お金が偉いから人が偉いへ、意識を変えていくことが求められていると。