楽しいと嬉しい

僕は「楽しい家」を目標として今後の人生を生きていこうと思う。

 

さて、まず最初に、楽しさとは何かを確認しておこう。そこで、「楽しい」と「嬉しい」を比較し、改めて楽しさとは何であるかを考えてみる。

 

この二つを比較するのに、僕たちが日常使ている表現から考えてみよう。例えば、「嬉し涙」はあるけど、「楽し涙」はない。逆に「楽しい家」はあっても、「嬉しい家」は考えにくい。また、「逢えて嬉しい」と言い、「逢えるのが楽しみ」と言う。明らかにこの2つの言葉は違う心の動きだ。

 

僕はこの2つの言葉の違いは、心の活動(エネルギー)の向きであると思う。

 

まず「楽しい」 という心のエネルギーは、その源は内側にあって、それが外に噴出している様である。つまり、楽しさの元は心の内にあって、その躍動によって思わず外に出てくるものだ。子ともが発する楽しいという感情はこのようなものではないか。内的要因で喜びの感情が発露されている。

 

これに対し、「嬉しい」という心の動きは、心の外に何か喜ばす原因があって、それに対して喜びの感情が噴き出す様である。例えば、失くしていたものを見つけ出した時、その喜びの感情は、それを見つけたことが原因である。常に外的要因で感情が発露されている。

 

こう言う風に見てみると、楽しさというのは、心が誕生したときにすでに内在していた、心のエネルギーだ。他者からの影響ではなく、自ら発する心のエネルギーだ。僕は、そういう心のエネルギーを誘発する家を、楽しさが詰まった家を、理想として作ってみたいのだ。